「陶芸の先生が授業の初日に、教室をふたつのグループに分けると発表しました。そして教室の左側半分の学生は作品の「量」によって、一教室の右側半分の先生には作品の「質」によって、それぞれ成績がつけられることが言い渡されました。」
量グループ:制作した陶器の総重量で成績をつける。数は何点でもOK。重いと高成績。
質グループ:制作するのは1点だけ。1点の質で評価される。
量グループ、質グループで提出されたすべての作品を、質で並べ直したところ、最高と評価された作品はどれも量グループから出たものだったそうだ。量のグループは山のように作品を制作しつづけたことで、失敗から学んだ。質グループは完璧さにこだわり、理屈をこねたりするばかりであった。
(Source: srgn)
気仙沼から帰ってきた友人のメールに、
こんなことが書いてありました。
<気仙沼の夜の飲み会で、隣りに座った
Aさんの娘さんと話をしていた時、
僕が「今、何をしたい?」と何気なく聞いたところ、
「そろそろ、コーヒーでもゆっくり飲みながら、
女友だちと恋バナとか、したいな」
という話をされていたのが、生々しく、
そして、なんだか、ぐっと来たのを覚えています。>
友人がぐっと来たように、ぼくにもぐっと来ました。
ご本人の気持ちだから、想像するしかないのですが、
どれだけ明るくやってきていても、
どんなに前向きにやっていて、手応えを感じていても、
やっぱり、被災地では、
「なにか役に立ちそうなこと」が優先されていて、
「日常のあたりまえのことなんだけれど、
後まわしにされてしまうこと」は、
ちょっとずつ後回しになってしまうものでしょう。
そういうものなんだとわかっているけれど、
「コーヒーでもゆっくり飲みながら、恋の話でも‥‥」
ということを、地元の人たちは、
どうでもいいことだとは思っていない。
大事なことだと思ってるんだ、という旋律が、
このなにげない会話のなかに、響いています。
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